天気予報に、気象予報士がいる意味はどこにあるのでしょうか。
気象予報士って本当に必要?
天気予報は、次のような行程で作成されます。
- 気象レーダーやアメダス等によって気象データを観測する
- 気象庁や民間気象会社のスーパーコンピューターによって数値予報を算出する
- AIを用いたガイダンスによってその地域ごとの天気や気温を割り出す
…上記の行程には、気象予報士は関与していません。
自分も、気象予報士試験の勉強の過程でこの事実を知って、スーパーコンピューターがあれば気象予報士はいらないのではないか、と思っていた時期がありました。
天気マークや数値だけでは表現の限界がある
しかし、この行程によって割り出された気象情報は、あくまでも最小限の情報で、見ただけでは理解が十分でない場合が往々にしてあるのです。
例えば、1時間ごとの天気予報で、ある1時間に雨マークが表示されていて、降水量は1mmと表現されていても、1時間ずっとしとしとと降り続ける場合と、10分間だけざーっと強く降って残り50分間は止むような場合があるのです。この2つは全然違うのですが、雨マークや降水量の値を見ただけではそこまで分かりませんよね。
そんなときに、天気図の見方が分かっていれば、どちらの雨の降り方かまで分かりますし、気象予報士なら分かりやすい言葉で伝えることができるのです。
気象予報士は適切な行動を伝えられる
また、天気予報を見た人に、「どんな行動を取ってもらいたいか」を具体的に提案することも、気象予報士として重要な役割。現在の天気予報に使われているAIでも、まだここまでは気が回りません。
例えば、正午の気温が15℃という予報でも、体感は初春であれば暖かくて晩春であれば肌寒いはず。また日差しの強さや朝晩との温度差、また湿度や風の強さによっても、体感は変わってきます。
必然的に、服装の注意点や洗濯物の干しやすさも変わってきますよね。気象予報士は生身の人間だからこそ、生活者に適切な行動をアドバイスできるのです。
気象予報士は気象データを検証できる
また、出力された数値予報やガイダンスの結果は、現時点でも、必ずしも正しいわけではありません。
だからこそ、出力されたデータが果たして本当に正しいのか、またどの程度確からしいのかを、気象の知識や経験を持つ気象予報士が検証する必要があります。
例えば、偏西風が日本上空で強く吹く春や秋と、太平洋高気圧に覆われた真夏とでは、天気の変わりやすさも全然違いますし、予想よりも低気圧や高気圧の進み方が早かったり遅かったりすれば、雨が降ったりやんだりする時間帯も変わってきます。
また急な斜面を持つ地形や大気の状態が不安定な場合も、出力データの信ぴょう性は低くなります。
晴れのマークが出ていても「折りたたみ傘を持っていった方が良い」と伝えるべき場合は、意外と多いのです。
コンピュータやAIが出力した天気予報の精度は、近い将来飛躍的に向上するはずです。
それでも、出力結果の妥当性を判断するために、天気図を読んで気象現象を把握できる気象予報士が必要であることに変わりはありません。
気象予報士は「気象情報の翻訳者」
気象予報士は、決してコンピュータやAIに取って代わられる存在ではありません。天気予報の受け手が生身の人間であり続ける限り、天気予報の送り手もまた、人間に寄り添う必要があるのです。
気象予報士には、理系的な情報分析力と文系的な言語表現力、そのどちらも兼ね備える必要があるのがお分かりいただけたことでしょう。だからこそ自分は、気象予報士は「気象情報の翻訳者」だと思うのです。